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【北宋とは】大河ドラマ「光る君へ」の舞台となった時代の中国についてわかりやすく説明

平安時代

唐の栄光は過去のもの、新しい時代「北宋」

NHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台は、唐の時代ではなく、その後継王朝である「北宋」です。唐は907年に滅亡し、その後50年近く続く混乱の時代を経て、960年に趙匡胤(ちょうきょういん)が建国したのが北宋です。

ちなみに3月3日放送の第9回の時点で、物語の時代設定は寛和2年(986)です。北宋になって26年後です。

遣唐使の廃止はいつ?北宋になっても中国との交流は続いていた

平安時代は、唐が滅亡した後も北宋との交流が続いていました。遣唐使は984年に廃止されましたが、その後も宋への使節は派遣され、貿易や文化交流が行われていました。「光る君へ」では遣唐使の廃止の話は出てきていませんでした。学校では遣唐使を辞めたから国風文化になったとか習ったような気もします。NHKで合っているアニメ「キングダム」とも関係ない北宋とはいったい。。。

NHKオンデマンドでも見れる大河ドラマ
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北宋について知ってきたい!ドラマを楽しむためのポイント

1. 960年建国!趙匡胤による統一

北宋は、960年に趙匡胤が五代十国と呼ばれる混乱の時代を終わらせ、建国しました。趙匡胤は軍人出身であり、強力な軍事力によって華北を統一しました。

2. 文治主義:重文軽武の時代

北宋は、武力よりも文官による政治を重視する「文治主義」を掲げていました。科挙制度を整備し、優秀な人材を登用することで、政治、経済、文化の発展を支えました。

3. 繁栄と技術革新:世界屈指の大国へ

北宋は、農業技術の発展や商業の活発化によって、経済的に繁栄しました。また、印刷術や火薬など、世界に大きな影響を与えた技術革新も起こりました。

4. 王安石の改革:新法と旧法の対立

11世紀後半、王安石は富国強兵を目指して新法と呼ばれる改革を行いました。しかし、保守派の反発を受け、激しい政治対立を引き起こしました。

5. 金の侵攻と南宋への遷都

12世紀末、北方騎馬民族の金が侵攻し、北宋は滅亡しました。皇族の一部は南方に逃れ、杭州に都を置いて南宋を建国しました。

なぜ北宋と言うの?

「北宋」という呼称は、南宋との対比のために使われています。宋朝は960年に趙匡胤によって建国されましたが、1127年に金によって滅亡しました。その後、皇族の一部が南方に逃れ、杭州に都を置いて南宋を建国しました。

北宋は、金によって滅亡するまでの約167年間続いた王朝であり、南宋と区別するために「北宋」と呼ばれています。

もし、宋朝全体について知りたい場合は、「宋朝」という呼称を使うのが適切です。

以下に、それぞれの呼称の使い分けをまとめました。

宋朝:960年から1279年までの中国王朝全体を指す呼称

北宋:960年から1127年までの中国王朝を指す呼称。南宋との対比で使われることが多い

南宋:1127年から1279年までの中国王朝を指す呼称。北宋との対比で使われることが多い

まとめ

北宋は、唐の栄光を受け継ぎ、文化、経済、技術で繁栄を築いた時代です。大河ドラマ「光る君へ」は、そんな北宋からやってきた人とまひろは交流する話が控えています。ちょっと予習しておくといいですね。

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