寛和元年って?いつ改元した?
大河ドラマ「光る君へ」第6回(2024/2/11放送)では、物語の時間が進み、元号が変わっていました。いったい、いつ改元したのでしょうか?
栄花物語は宇多天皇から堀河天皇まで40巻あるらしい
女たちの平安宮廷 『栄花物語』によむ権力 (講談社選書メチエ)
オープニングの映像前、道長とまひろが夜に会い、家に帰って、まひろが顔を洗っている場面で、永観2年(984年)と表示されました。
次に音楽が終わって、左大臣家の姫たちの集まりの場面で、寛和元年(985年)とテロップに出ていました。
永観3年(985)4月27日に改元したそうです。
道隆(道長の長兄)夫妻が主催する漢詩の会は4月27日に開催されました。改元の日と同じ?
寛和の漢字の読み方は「かんな」、「かんわ」どっちなのだろう?
時系列をまとめると
第5回までは永観2年(984年)のお話だったということです。
年が明けて、4月下旬までは永観でしたが、改元されて、寛和となったそうです。
寛和の変とは
先取り情報として、寛和の変という事件があったそうです。
第6回の最後あたりで描かれているよし子がお隠れになったという時期は7月です。
花山天皇は、よし子が亡くなったので、自らの意思で出家したいと思ったのでしょうか?
よし子の急死を知った藤原兼家は、道兼を使って、天皇に出家をすすめた。
天皇は出家し、藤原義懐(高橋光臣)も出家。そして、藤原頼忠(公任の父で関白)も権力を失う。
懐仁親王(やすひと)である東宮(まだ幼稚園ぐらいの年齢?)は一条天皇になって、藤原兼家は摂政に。
つまり、簡単にすると、よし子が死んで、花山天皇が出家。一条天皇が即位して、兼家が摂政になるという事件です。
まるで鎌倉殿の頼家みたいな感じですね。