光る君への第8話
NHK大河ドラマ「光る君へ」2024年2月25日放送の第8回では寛和2年(986年)になっていました。この年にいったいどんなことがあったのでしょうか?わかりやすく解説します。
まずは第8回のおさらい。
藤原義懐(よしちか)がますます権力を握っていて、左大臣も右大臣もみんないらだっていました。
あるとき、道長の父である藤原兼家が会議の途中で、倒れてしまいました。安部晴明(あべのあるあきら)を呼び、祈祷しましたが、回復しなくて、道隆、道兼などあたふたしてました。詮子(あきこ)も父を嫌っているものの、ちょっと心配気味でした。
でも、これって史実とちょっと違う?兼家は本当に病に倒れたのでしょうか?
寝ている途中で目が覚めて道兼にDVしたのか?あやしいなあで終わりました。でも、道兼の腕の傷を見た花山天皇は信じたみたいでした。
寛和2年になっていた
物語の年月がまた進んで、986年になっていました。
寛和2年に起こったことは?
寛和2年(986年)に起こったことはまさしくこれ!
この年の6月、花山天皇が退位したそうで、さらに、一条天皇が即位したらしいです。懐仁(やすひと)親王です。詮子(あきこ)の息子で兼家の孫。
いわゆる寛和の変です。
じゃあ、やっぱり、兼家は病気じゃないのかもしれない?
花山天皇はよし子のことを引きずっているけど、ちゃんお仕事しているし、まだメンタルも大丈夫なんですよね。。※よし子(忯子)が死んだのはその前の年の夏です。ちなみに、よし子が入内した理由は天皇の要望があったからだそうで、お父さんはもともと親王時代に花山天皇に仕かえていた。
そこがちょっとおかしいなという点でした。というのも事前に出家する話を予習していたからです。来週の回で、兼家が本当に病気かどうか、道兼へのDVのことも明らかになるのでしょうか?