モーリス・ユトリロとその母スュザンヌ・ヴァラドンとは?恋愛遍歴にあのサティも

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モーリス・ユトリロとその母スュザンヌ・ヴァラドンとは?恋愛遍歴にあのサティも

モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)は19世紀の終わり生まれのフランスの画家です。
お母さんも画家で有名。

 

ユトリロとヴァラドン―母と子の物語・・・

新聞で見つけたのですが、全国で巡回してようやく近くの美術館ではじまっているらしい。
スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年記念の展覧会みたいです。
誰なんだろう??モーリス・ユトリロのお母さんだそう。

 

ユトリロってどこかで聞いたことがある程度で
テレビでも特集を見たことがない画家。なのになぜか知っている画家。
本当に有名なの?とか思ったりして、、、
一緒に載っていた「コルト通り、モンマルトル」という絵。
冬の殺伐とした空気が伝わってきます。

 

 

ユトリロの気になる絵はモンマニーの庭

ただ地名が気になっただけです。

 

モンマニー・・・
フランスにもあるんですね。
カナダのケベック州にもあって、、、

 

※モンマニー フランスで検索すると出てきます。

 

 

 

母、スュザンヌ・ヴァラドンってどんなひと?

 

シュザンヌ、スザンヌといろいろ読み方があるみたい。(Suzanne)
この女性はサティと関係のある人のようです。息子、ユトリロは当時10歳。祖母の家から学校に通っていた。

 

サティのドキュメンタリー

今年(2015)、サティのドキュメンタリーを見たとき
(ハイビジョン特集「サティのうた」)
サティの恋愛にも触れられていて、結局、つまりサティの恋はただひとつらしいです。
まさか、この人とは。。。
ぼーってそのくだりのところを見ていてあんまりなんとも思ってませんでした。

 

1893年、ヴァラドンが描いたサティの絵もあって、逆に
サティが描いたヴァラドンの絵も存在。
サティは手紙を渡さなかったらしいですね。

 

 

 

サティはコルトー通り6番地のアパートに7年間暮らしていました。
サティがはじめて1人暮らしをした場所。

 

 

特集の30分経過〜ぐらいからヴァラドンのことが出てきました。
以下放送からのメモ、、、(ハイヴィジョン特集「サティのうた」
2008年に放送されたものの再放送)

 

 

サティにとってはヴァラドンとの恋愛はその人生において唯一の真剣なものだったそうです。
なのにヴァラドンにはサティと交際しているときも他に愛人がいた。

いつからいつまで?

サティとヴァラドンは1893年1月14日土曜日からはじまり、1893年6月20日火曜日で終わったらしいです。
1月16日月曜日、ヴァラドンがはじめてサティの部屋に。
6月17日土曜日、ヴァラドンが最後の訪問。

 

 

1893年3月11日サティはヴァラドンへ手紙を書く。
ヴァラドンのことをビキと呼んでた。どういう意味だろう?

 

サティはヴァラドンのことを創作活動の弊害になると考える。
ヴァラドンと破局後は恋愛してません。

 

別れたあとにヴァラドンあてに書いた手紙がたくさんあったそうです。
投函されてません。
2人が別れて33年後にヴァラドンへ手渡されたそう。

 

 

もっと他に誰かいたんじゃないかと思ってしまうサティの秘話でした。

 

ヴァラドンの恋愛遍歴(他にもあるのかな)ウィキより抽出

1886年
ロートレック
1893年
サティ
1894年
ポール・ムジス(96年に結婚、1909年破局)
1909年
アンドレ・ユッテル(1914年結婚)

 

ヴァラドンのことばかりになりましたがユトリロの経歴もすさまじいです。
でも、あんまり知らないほうがいいときもあります。

 

 

ベルリオーズの家、パリの小路など

 

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